名古屋嬢から見えてくるもの

プランタン銀座が「名古屋嬢」福袋を売り出すそうだ。
今朝のワイドショーでもやってたけれど、いまや「なごやじょう」といえば「名古屋城」ではなく「名古屋嬢」になってしまったかのようだ。
ところで、私はこの名古屋嬢をはじめとする名古屋スタイルが嫌いだ。
初めて名古屋を訪れた数年前から、この地には派手な女性が多いと漠然と感じていたが、それは街に溢れる名古屋嬢の存在のせいだった。
典型的な名古屋嬢は、それなりの富裕層の娘で、親と同居している。
地元のお嬢様向けの大学や短大を卒業し、親から見るとずっといい娘だと思われている。
彼女たちは、ファッションに命を懸ける。
ブランド物に目が無く、ブランドバッグは必需品だ。
美しく手入れされたロールしたロングヘアに、長いまつげで化粧もばっちり。
装いもエレガントで、お嬢様を演出している。
とまあ、ここまでは単にお嬢様がいるんだなと、外野が気にすることではないのだ。
ところが、彼女たちは、気味が悪いほど皆一様なファッションで街中に群れている。
しかも、清楚なファッションと裏腹に、立ち居振る舞いは、お嬢様とはかけ離れているのだ。
マナーも悪く、とくに喫茶店や飲食店での喧噪は耳を塞ぎたくなるほどで、他の都市の比ではない。
おいおい、お嬢様なのは格好だけなのかい、と突っ込みたくなってしまう。
私は、名古屋嬢の軽薄さに呆れながら、その裏に見え隠れする名古屋地域の人々の思考スタイルに疑問を持ち始めた。
彼らは、体面を気にして外面だけを取り繕って見栄を張りたがる。
しかし、その内面はまったく洗練されていないのだ。
つまり、名古屋嬢の存在は、名古屋地域の人々の振る舞いの縮図として現れているに過ぎない。
見栄を張ったり、外見をよく見せたいという思いは、どんな人間にもあるだろう。
しかし名古屋地域では、街を歩いているだけでそれを強く感じてしまう。
この偏りは、ちょっと異常ではないか。
どうにも納得できない名古屋スタイル。
結局、「名古屋は大いなる田舎」なのだと揶揄されたり、自嘲して済ませているのが現状だと思う。
だけど、彼ら自身が名古屋スタイルを自覚し変化しないと、都市全体が軽薄に陥ってしまうようでとても恐ろしい。

目玉は「なりきり名古屋嬢」 初売り福袋、銀座の百貨店
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