アートの財源

さて、芸術文化事業の予算カットに反対の声を上げるのは簡単だけど、具体的に解決するのは難しい。

この問題は、美術館が閉鎖したら学芸員が職を失い、関係者の仕事も奪われるので反対、といった感情的な見方をしていては、一向に解決しない。

問題の根本は、アートの財源をどう工面するべきかにつきる。
財源さえあれば、問題は解決するのだ。
公立美術館の財源は、その自治体の予算、つまり税金である。

アートの財源を、税金に頼っていていいのだろうか。
先に述べた通り、「アートは人々の生活に欠かせないものである」という市民の共通意識はいまのところ成立していない。
いくら市民のためという理念があったとしても、現在の状況下で税金を投入していては、市民の感情を逆撫でしているようなものだ。

問題の解決には、税金以外の財源を模索するしかない。
支援者の寄付金、助成金、協力金など。
もちろん、今だって助成や協賛を得ているイベントは多い。
だけど、これからはもっと劇的に資金調達方法を変えなければならない。
しばらくは苦しいだろうが、財源の必要性を訴えて徐々に賛同者を増やしていくのが、回り道のようで近道だと思う。

ここで、アートは社会に絶対に必要なんだ! 市場原理とは相容れないんだ! だから予算カットなんてあってはならない! と、頑なにアートを聖地化したり理想を語って意地を張るのは、逆効果だと思う。

今後、施設やアーティストたちは、自分たちの発表の機会を確保するために、もっと財源への自覚と、資金調達への努力を払わなければならなくなる。
なんといっても、これまでのアーティストは、アーティストフィーをもらう立場であり、資金繰りや財源なんて知ったことではなかった。
アーティストは、行政の金、施設が自由に使えるという甘えがあったと思う(そんなアーティストは一握りなんだけど)。
彼らはこれからは、資金がなぜ、どのくらい必要かをしっかりと自覚し、資金を調達するための呼びかけを、いろいろな方面へ行うべきだ。
人々は、協力するしないに関わらず、アートの置かれている状況、アートに必要な資金について考えを巡らすだろう。

長期的に、じっくりと議論を通して、人々の考えを変えていかなければならない。
そうしないと、いつまでたっても、公共の芸術文化事業に税金を使うなんて、合理的な根拠がないと一蹴されてしまう。
最終的には、芸術文化の必要性が共有できる社会になることを祈って。