成功させよう

2005年の愛知万博に向けて、「成功させよう愛知万博」というコピーがあちこちに掲げられている。
近所のスーパーの袋にも、万博キャンペーンが印刷してあるので、目にしない日がないくらいだ。
スーパーが万博キャンペーンに便乗していいことあるんだろうか(あるんだろうね、きっと)。
主催者にしてみれば、地域ぐるみで応援しているイメージを流布したいという意図もあるだろう。
でも、このコピーの「成功させよう」には、そもそも愛知万博は「成功しない」という前提がある。
何故かというと、愛知万博は大方の予想通り失敗しそうなんだけど、このまま失敗に陥らないように、みんなにも協力してもらって何が何でもなんとか「成功させよう」という意味にしか読み取れないからだ。
「成功させよう」には、そんな寂しさが漂っていて、見るたびに溜め息が出る。
こんな寂しいコピーをばらまいているキャンペーンで、市民みんなに「成功させよう」って呼びかけられてもねえ。
成功しようが失敗しようが、どうでもいいって人は多いのではないだろうか。
万博関係で稼いでいる人がいても、ほとんどの人はすでに稼いでいるわけで、結果成功しなくったってモトは取れるんでしょう、たぶん。
ここはひとつ、正直に「失敗してたまるか愛知万博」とか「チケット買ってよ愛知万博」というコピーにすれば、市民も納得できるかもしれない。
また、「成功させよう」と謳っているけれど、「成功」の定義が曖昧でつかみどころがないのも気持ちが悪い。
万博の成功って何なのだろう。
チケットが売れて儲けりゃ成功なのだろうか。
万博って営利事業なんだっけ。
愛知万博のキャンペーン事務局は、これまでの万博で、成功したものと失敗したもののリストを挙げてほしい。
万博のような大規模イベントの評価は、長い期間を経てできるものだろう。
さていま、大阪、筑波の会場跡を見て、どのような判断を下せるだろうか。