キッズデザインとは何か?

ムービーカードが第1回キッズデザイン賞を受賞しました。
 
http://www.kidsdesignaward.jp/
 
受賞作の展示会である「キッズデザイン博」に出展しました。私たち以外は、ほとんど大企業のプロジェクトばかりでした。それもそのはずで、出品料も展示料も大金が必要なイベントだからです。キッズデザインのマークを使うにもお金がかかります。
 
経済産業省が進めるキッズデザインの流れには、こどもがシュレッダーで指を切断した事故が後押ししているように感じられてなりません。あの事故では、メーカーの安全管理が問われましたが、親の責任は問われませんでした。
 
あのとき思い出したのは、小学校時代の友人の弟の話。彼は自宅の農機具に手を巻き込まれ、片手の指を全て失いました。田舎では昔からそういう事故は少なくなかったようです。一部の農機具は大変危険な機械です。そんなことは当たり前で、メーカーも農家も十分承知しています。
農機具に限らず道具というのは、機能を追求するが故に危険な部分が発生します。機能性と危険性はトレードオフの関係にあって、道具は常にいくらかの危険性を含んでいると考えておいて間違いないと思います。
強力な道具を扱う人は、道具の危険性もよく知っておくべきです。こどもの指切断は、とても不幸な事故ですが、メーカーの責任で100%防げるものではありません。農機具もシュレッダーも同じことだと思います。
 
話を戻して、「キッズデザイン博」。大賞のリサーチは丹念で、安全なこども環境をデザインするという使命を感じました。他にもいろいろと面白そうなプロジェクトはありましたが、いかんせんポスター1枚展示が多く、担当者も会場にいないため、実際の様子や思いがわかりません。
 
キッズデザイン賞のWebサイトを見るだけでも伝わってくると思いますが、イベントの運営サイドの広告代理店の人たちは、こどもにはあまり興味がなく、ビジネスに関心があることが言葉のはしばしから伝わってきます。その雰囲気が会場にも滲み出していて気分が落ち込みました。
 
食べられる絵具。紙は切れても指は切れないハサミ。レバーを操作しなくても流れるトイレ…。たしかに便利になりました。あまりに便利すぎて、コミュニケーションもいりません。親は道具の使い方を教えたり、こどもの挙動を監督する必要すらなくなります。しかし便利になればなるほど、そのモノ本来の機能が見えにくくなりました。この便利さに漬かってしまうと、便利さを支援する技術が使えなくなった場合、対処できる方策がわからなくなってしまいます。例えば、停電、断水、途上国へ旅した時などに、いまのこどもたちは生き抜くことができるのか、不安になってきます。こどもは成長の途中で、痛かったり不安だったりする経験を通して、危険を回避する術を学習していくのではないでしょうか。
 
もう一度、「キッズデザイン博」。受賞作の展示以外に、いくつかのワークショップが開催されていました。このワークショップ、なぜかレクリエーションタイプとレクチャータイプばかりが目立ちました。ムービーカードもワークショップを行いましたが、事務局用語によれば、受賞作の発表は「デモンストレーション」だそうで、ワークショップとは呼んでもらえません。当初デモンストレーションは、会場のインフォメーションにも載らないほどの扱いでした。
 
ところがどっこい、デモンストレーションのほうが面白かった。給食用食器の製造・販売の三信化工株式会社のワークショップを紹介します。彼らは、割れにくい食器をつくっています。とはいっても、どうしても割れてしまうこともあります。だったら、実際に食器を割って、割れ方を観察したり、鋭利な部分を知って、その危険を理解しようじゃないか、というワークショップ。ときおり「ガシャン!」という食器が割れる衝撃的な音が、会場全体に伝わります。まるで、「安心安全」を装った会場のコーティングをはがすような痛快な音でした。事務局やほかの出展者はあきらかに迷惑そうでしたが、これこそキッズデザインの名にふさわしいワークショップです。
 
安直に危険にフタをして「安全」を装うことは、かえって「危険」なことです。その自覚なく「表面的な安全」だけを指向する風潮には賛成できません。
世の中に危険なことはたくさんあります。「安心安全」なんてコトバを、簡単に口にできるわけがありません。おとなもこどもも、まずは世の中の危険を知ることで、安全を考えられると思います。そのためのデザインこそ「キッズデザイン」だろうな、とおぼろげながら思いました。