変わるマスコミの周りの風景

テレビが広げてくれる話題性

 
2007年、ネット界のヒットは、「ニコニコ動画」と「初音ミク」に決まったといっても過言ではありません。個人的には、どちらのテイストもそれほど好きではありませんが、現代にふさわしい新しい表現の息吹を感じます。「顔ちぇき!」や「脳内メーカー」もヒットしましたが、私たちの創作意欲を刺激した点から見れば、上のふたつにはかないません。
 
とはいえ、ネットでは話題沸騰のこれらの新サービスも、田舎のじいちゃんばあちゃんにまでは知られていません。こんなとき国民的メディアのテレビがそのトピックを取り上げることで、認知度があがることがあります。例えば、「メイドカフェ」なんて全国津々浦々にあるものでもないのに、多くの人はそれが何かを知っているでしょう。
 
テレビの紹介で、自分たちの注目する話題はさらに盛り上がります。そう、経験的にネットユーザたちは、ネットで話題になったものはテレビが広めてくれるだろうと淡い期待を抱いていたはずです。2007年10月14日放送のTBS「アッコにおまかせ!」の「初音ミク」紹介ビデオで、それが裏切られたため炎上しました。
 
私は、この放送内容をYouTubeで見ましたが、特別にこれまでのテレビの内容と違うものではなく、よくあるオタクの紹介といった感じでした。セーラー服を模したステージ衣装をまとったバンドやアニメポスター、彼らの発言など、「画的」に面白いものがあったから、制作者はそれらを中心に編集したのだろうと、大抵の視聴者もうすうす感じているはずです。
 
すこし変に感じたのは、もともとキーワードを紹介するコーナーだったのに、いつのまにか気持ちの悪いオタクを紹介する内容に変化してしまっていたところです。とはいっても、これはバラエティ番組です。より面白い方向へ変化するのなら、そのことを気にする視聴者はいません。

マスコミ=編集権の独占

今回の取材対象者たちは、ネットで取材の経緯や内容を語っていて、いろいろと興味深いことが明らかになりました。彼らの声に共通していることは、事前に聞いていた企画意図と異なる全く予想していない編集結果になっていたということです。
 
マスコミの取材を受けた経験のある人は、同じような体験をした人が多いのではないでしょうか。一般的にマスコミの取材は、公開前には取材対象者が編集結果を見ることができません。そのため取材対象者は、放送・出版された後になってはじめて編集結果を見ることになります。最終的に、取材時の意図とは違う内容に自分の言動を巧妙に切り抜かれていても、もう修正することはできません。
 
私たち一般の人にとってマスコミ取材がおそろしいのは、この点です。つまり、制作者が編集権を独占していること、そしてその内容を後で修正できないことです。あらかじめ制作者の企画意図を聞いて納得して取材を受けていても、後で内容が変えられることさえあります。
 
こういった裏切り行為に対して、私たちは無力でした。私たちの反論はマスコミに取り上げられることはありません。基本的に泣き寝入りするしかなかったのです。

取材過程を透明に

 
これに取材対象者が対抗するには、取材内容を公開するしかありません。今回のように、取材対象者が取材経過をネットで公開したことで、番組制作の仕組みが透明になりました。マスコミの影響力に比べれば、ネット掲載の力は小さなものです。しかし、いちどネットで公開しておけば、重要な情報の場合、多くの人が言及したりコピーしたりするために、隠蔽されたり消えてなくなることはありません。
 
以前は泣き寝入りしかなかった立場の人たちも、これからは少しずつ状況を変えることができます。ひとつは放送内容の保存です。HDD録画機の普及で、低コストに放送内容を録画することができるようになりました。従来、放送された内容は放送局だけが独占していましたが、視聴者も保存できることができるのです。放送はいまや、必ずしも「流しっ放し」で消えていくものではなくなりました。いくらでも後から検証することができます。
 
これらの活動を通しても、マスコミが内容を修正することはないでしょう。しかし、取材経過が透明になり、期待したものと違う編集を行われたことを後から追及する構図ができあがれば、制作者と取材対象者双方に緊張感が生まれるでしょう。
 
このような事例が増えれば増えるほど、私たちは、メディア制作者への付き合い方を覚えて賢くなることができます。今回の件で見えてきたことだけでも、番組制作の過酷なスケジュール、取材対象者を安易な選定、安易で情報収集などなど、私たちは、なるほど普段見ているテレビってこういうふうに作られているんだと、簡単に知ることができるようになってきました。

テレビの企画書はテキスト中心主義である

 
今回、スタッフが取材場所に置き忘れたという企画書の画像もアップされていました。一部抜粋して紹介します。
 

NA つづいては、萌え系のルーキーワード!
NA 初音ミク
NA 初音ミク、なんだか人の名前っぽいですが、
   一体、誰のことなのか?
   オタクに人気がある新人アイドル歌手との
   噂を聞いたスタッフは、
   早速、オタクの街、秋葉原へ…

NA (街頭インタビュー)
   初音ミクって知ってますか?

オタク (答える)
   *知ってる
   *大好き
   *萌える
   *声が可愛い
   *あの服がたまらない
   *なかなか手に入らない

 
これが「企画書」というものかどうか、私にはわかりません。まるでドラマのシナリオのようですが、これがほんとうに「企画書」と呼ばれるものなのか、関係者の方にはぜひ教えてはしいです。
 
この企画書で注目すべきは、取材する前に、もうすでに全てのストーリーが完成していることです。オタクの答えは、用意されていました。これに続く開発元のコメントとして、「つんく♂」とか「モーニング娘。」といった、使う言葉もあらかじめ決まっていました。つまり取材はするもののの、まとめる内容は決まっていたのです。
 
この企画書は、「作文」です。間違っても「映像の企画」ではありません。テキストが中心に合って、映像はテキストを説明するための添え物でしかありません。この企画書からも、事前に完成した内容の企画を通さなければならない制作現場の体制や、余裕のない制作期間などが垣間見えて来ます。
 
このことは批判されるものではなくて、短いスケジュールで番組を効率的に作るための手法なのだと思います。カメラを回す取材の合間で何か新しい発見があって、その都度内容を作り替えていては、時間も手間もかかります。結論を決めずに取材を始めるのは、リスクが高すぎます。そういう面倒や危機を回避するために、カメラ取材の前に、事前の取材を済ませて、内容を確定しておくのでしょう。最終的に、その内容を強化するために、私たちのインタビューは利用されています。
 
ただ。ひとつ疑問が残ります。このような手法で作られた映像は、ノンフィクションや事実の報道といえるでしょうか。テレビカメラが捉えているのは、ありのままの現実ではなく、既にある物語を語っているだけなのですから。

テレビは限りなく茶番になっている

ところで、私たち視聴者は、もうこんな番組制作の仕組みについて、うすうす知っています。テレビは、現実を写しながらも、それを面白おかしく、わかりやすく伝えるものです。テレビで、複雑で多面的な現実を説明されても見づらいだけです。私たちは、お茶の間でくつろぎながら、分かりやすい面白い番組を「ながら見」できれば十分です。その時に真実が多少削られようと歪んでいても構いません。
 
いまやテレビカメラが、私たちのもとに取材に来たとき、芸人でなくとも何か面白いことを言おうとしたり、テンションを上げたりしています。あるいは、あなたが職人だとして、まじめな番組が取材にきたら、逆に神妙な顔つきをしてしまうかもしれません。それほどまでに、私たちはすでにテレビの作り方を知っていて、それに沿ってしまうのです。
 
テレビカメラは、茶番を生み出す装置に変わりました。
テレビカメラは、リアリティをつかまえることができません。
テレビカメラは、周囲の現実を変質させてしまいます。
テレビカメラは、信頼して話のできる相手になりません。
私たちはもう知っていたのです、テレビカメラとの付き合い方を。

自分が言いたいことは自分でつくる

テレビカメラに、自分の思いを託そうとしても無駄です。それよりも、自分でつくればいいのです。あなたが、「初音ミク」がいかに素晴らしくて、感動して、どんな可能性を秘めていて、時代を変えるものなのか、知っているのなら、語り得る人が語るにつきます。自分の経験を通した感情のこもったコンテンツに人は感動するでしょう。
 
今回のテレビに落胆した人たちは、マスコミに抗議するよりも、自分でつくったほうが効果的だと思います。