Chim↑Pom騒動について一言


Chim↑Pomが広島上空に「ピカッ」という飛行機雲をつくった騒動は、あまりメディアでは取り上げられていないようだ。私は、mixiのアートマネジメントコミュのトピックとそこにリンクされていた数本の記事しか読んでいないので、正確なところは知らない。アーティストも美術館も謝罪だけで、ちゃんと意見を公開していないのだから、これ以上は何も語ることはできない。


ただ、なんとなくこのアーティストに真摯なところがみえてこない。第一、このユニット名自体が、声に出して読まれることで話題にしたいように思える。自分たちがTVに出演したときに、女子アナが口にしたら面白くない? みたいなノリを感じる。過去の作品群を見ても、単にセンセーショナルな反響を得たいだけのように勘ぐってしまう。彼らは、ただ刺激的な反響と自らのステップアップだけを求めていて、社会的な議論を巻き起こすつもりはないように見える。あるいは、社会的な反響は作品に衝撃を受けた批評家につくらせておけばいいのだ、というようにも。


私は、彼らに限らず、こういう変態的で軽々しいアーティストは好きではない。いや違うな、変態的な軽々しいことをやっていても素晴らしい作家はいる。好きではないのは、世の中をくってかかってるふざけた態度のアーティストのことだ。1960年代生まれの日本の作家に多い気がする。


もし私がそのような作品をつくるのなら、地元住民との話合いは欠かさない。最終的に承諾されようが拒否されようが、そのプロセス自体を作品としたい。本当にその表現が必要であれば、反対する相手を説得するだけの覚悟は必要だろう。そのためには、長い年月がかかるかもしれない。


一方、美術館の学芸員の責任も見逃せない。広島市現代美術館は、彼らに賞を与えたし、記念に展覧会をやるというので、相当に意気込んでいたと思われる。Chim↑Pomは一部では評価が高いらしいので、担当学芸員は、彼らを早々ととりあげることで一旗揚げようとしていたのではないか。今回の場合は学芸員も共犯だろう。


以上、意地悪な見方が出てしまうのは、反対されたらさっさと自粛でコトを済まそうとしているからだ。アーティストも美術館も、少なくとも作品の意図や表現の必要性については反論してほしい。


横浜美術館高嶺格作品の公開中止など、これからも、こういう自主規制の事例だけが増えていくのだろうか。